上部帯

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おわりに

 

 

【遺作となった作品・・・海外でも高い評価】

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NHK特集ドラマ「東京が戦場になった日」!

 

 

「第54回モンテカルロ・テレビ祭」特別賞『モナコ赤十字賞』受賞!

 

         2014612日モナコで開かれた「モンテカルロ・テレビ祭」は、世界の優れた

テレビ番組を表彰する国際コンクール。『モナコ赤十字賞』は、赤十字の精神である

人道、公平、独立、中立、チャリティーなどの少なくともひとつを描いたミニシリー

ズ、またはテレビ映画に贈られる特別賞。1961年に創設された。

 

「2015年ニューヨーク・フェスティバル」『金賞(最高賞)』受賞!

 

ニューヨーク・フェスティバルは、1957年に設立され、あらゆるメディア表現・

映像作品等を評価対象とする国際的コンクール。毎年、50か国に及ぶ参加があり、

テレビ、映画、広告などのジャンルの中から、ニュース、ドキュメンタリー等の各

部門ごとに金・銀・銅賞が授与される。「東京が戦場になった日」はスペシャルド

ラマ部門の最高賞に輝いた。

 

 

    【学徒消防隊・年少消防官…知られざる若き消防士たち】

 

昭和20年3月10日帝都(東京)は、僅か2時間半に10万人以上が犠牲となった大空襲

にみまわれた。その時、帝都防災のために「学徒消防隊」や「年少消防官」が駆り出され、

命を懸けて消防活動に赴いたことはあまり知られていない。

それまで20歳からの消防官を17歳以上で「年少消防官」と称して採用し、さらに、学徒出

陣を猶予されていた理系医系の学生を「学徒消防隊」として動員した。そして、3月10日未

明、若者たちは、十分な訓練を受ける間もなく、東京大空襲に遭遇・・・・・・・・・。

戦場と化した東京を、命懸けで守ろうとする、若き消防官の姿を描いたドラマ。

 

【2014年3月15日放送-NHK-

 

作・脚本・・・・・中園 健司

資料提供・・・・中澤 昭(「東京が戦場になった日」著者)

制作統括・・・・篠原 圭

音   楽・・・・佐橋 俊彦

演   出・・・・伊勢田 雅也

出  演・・・・泉澤祐希、市川知宏、工藤夕貴、大橋吾郎、朝倉あき、中西美帆

        麻生祐未、中原丈雄、鶴見辰吾、渡辺哲、米村亮太朗、長村航希、

        葉山奨之、千代将太、JIN、小橋めぐみ、米倉斉加年、加藤武ほか

 

 

o    「年少消防官」と「学徒消防隊」
NHK特集ドラマ『東京が戦場になった日』を書き終えて

                          《東京消防 2013年7月号 火の見櫓へ寄稿》


 

o    戦争(東京大空襲)を消防隊の視点から描いたこのドラマの発端となったのは、中澤昭氏の『東京が戦

場になった日』(近代消防社)という本との出会いでした。10年ほど前に、某大手映画会社から終戦60

 周年企画の一つとしてこの本を手渡されたのです。この映画の企画は実現には至らなかったのですが、

浅学な私は、この本で初めて戦争時の「年少消防官」と「学徒消防隊」という存在を知ったのでした。

 

o    戦争末期、日本本土への空襲が本格化する中、日本軍にはもはや反撃する力はなく、帝都防空の盾に

なったのが消防隊でした。しかし、成人男子のほとんどが戦地に駆り出されており、本土防空を担う消防

は人手が足りず、それまで20歳からの採用だった消防官を17歳からの採用とし、{年少消防官}と呼ば

れたのです。
 

o    そして当時、大学生は兵役を猶予されていましたが、戦局の悪化にともない“ペンを銃にかえて”戦地に

 赴きました。有名な“学徒出陣”です。ところが、あの“学徒出陣”は実はほとんどが文系の学生でした。

理、 医系の大学生は未だ猶予されており、のちに消防署に動員され,「学徒消防隊」と呼ばれたのです。

例えば早稲 田大学理工学部の学徒消防隊の結成は、昭和20年3月5日。東京大空襲(3月10日未明)

の数日前のことです。 つまり、彼らは訓練を受ける間もなく、装備もなく素手同然で歴史上例を見ない米

軍の無差別焼夷弾爆撃で東京が 火の海になり、わずか2時間半で10万人以上の都民が犠牲になった、

あの東京大空襲に遭遇することになったの です。

 

o    中澤昭氏の『東京が戦場になった日』は、その時の若き消防戦士たち「年少消防官」と「学徒消防隊」の

奮闘 と悲劇を記録した労作です(ちなみに中澤氏は、東京消防庁で都内の消防署長を歴任され、作家

として消防に関する 優れたノンフィクションの書物を他にも多数書いておられます)。

 

o    10年前、なぜこの企画が実現しなかったのか、記憶が定かではないのですが、アメリカで9.11が起き

たこと も影響があったような記憶がありますし、当時は消防や防災に対する意識が今ほど高くなかった

ということもあった ような気がします。しかし、それから10年近くが流れ、私たちは東日本大震災を経験

しました。日本中が顔面蒼白 状態、政治家も専門家も頼りにならず、そんな中で、福島第一原発に放水

をするハイパーレスキュー隊の勇敢さに日 本中が釘づけになりました。頼りになる日本人はまだいる・・。

戦争時に「消防だけが都民の頼り」だったそう ですが、まさに消防魂は受け継がれている。何とかこの

企画を蘇らせたく、私はNHKのプロデューサーにこの企画 を託し、企画はすぐに決定されました。2011

年の暮れのことです。そして昨年1月から取材を始めました。まず 中澤氏にお会いし、氏が取材された元

「年少消防官」と元「学徒消防隊」の方々にもお会いし、取材協力をいただき ました。皆さん、80歳を超え

ておられるのに、記憶も鮮明で、壮絶としか言いようがない生々しい貴重な証言を 数多く聞かせていただ

きました。

   

o    お陰様で今年3月末にクランクイン、5月に無事撮影を終えました。来年になってしまいますが、東京大空

襲のあった3月ごろに放送される予定です。どうぞご期待くさい。ドラマなので、フィクションとして創作して

おりますが、脈々と受け継がれてきた消防魂もテーマの一つです。これまで東京大空襲は、映画、テレビ

で数多く作られて きましたが、消防隊の視点から描かれるのは本邦初ではないかと思います。

 

中園 健司

 

 

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後 記

 

“死に至る病”を宣告されても、「明鏡止水」と応え、さらに、「ガンで良かった」と覚悟を語る。

死期を意識しつつも、泰然と過ごし、残された日々の営みを丁寧に綴りながら、人生の最

終章を仕上げる。この“闘病記”は脚本家中園健司のラストシナリオなのです。

 

「…今は、時間が止まっているように感じる。どこへも行く必要がないのだ。

もうじき無になる、それを待ってるだけなのだから。

そもそも人生はそうなのだ。何を焦ったり、アクセクしたりしてきたんだろう、

そんな必要なんか微塵もなかったのに…」

「…今生きている時間をゆっくり味わうこと、それが一番大事なことで、生きて

いる意味のような気がしてきた。あとどれくらいそんな時間が与えられている

のか分からないが、そういうことに気が付いただけでも、

やはり、ガンで良かったと思う。(闘病記 第3章8月7日から)

 

愛妻や友人達・終の棲家や窓越しの風景。惜別の情や刹那の未練に揺れながらも、

人生の重しを下ろすかのように、9月15日 絶筆。

それからは、次第に強くなる痛みに立ち向かう試練の日々でした。 

 

 

脚本家は、創造の苦しみと・喜びを併せ持つ孤独な仕事だといわれます。その実際を知

る事は難しいものの、彼は、著書(脚本家―ドラマを書くという仕事)のなかで「二次元

の文字の世界が三次元の立体映像になっているーこの瞬間ほどワクワク、ドキドキする時

はありません」と、その醍醐味を語っています。自分の夢に、やりたい仕事に、生涯夢中に

なって取り組み続けた・・・。幸せな人生だったに違いありません。

 

 

彼をよく知る方の追悼の辞に、脚本家としての矜持が表現された言葉がありました。

 

『・・・・きっちりしたシナリオ構成とシーンづくりに定評のある方でした。

そのためにプロデューサーとはよく戦われていたようです。

作品に対して常に情熱を傾けて、ご自分の視点をきちんと持ってらっしゃる方です。

ほんものの脚本家をおひとり失いました。』

 

(シナリオセンター代表 小林氏のブログ「表参道シナリオ日記」より)

 

                            さよなら・・・・・!




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がん闘病記 中園健司
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