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第2章

 

726日(金曜日)

 

  今日は、午前中、ミヤちゃんは和裁の稽古に石神井公園駅へ行った。石神井に住んでた頃から続けているのだが、小平に新居を決めた時も、ここからなら通えると満足そうだった。

 

 私はというと、彼女が外出してから、便秘との格闘である。昨日、W医師に便秘を訴え、薬を処方して貰っていた。貰ったそばから飲み始め、そろそろ効果が出てきそうだった。便秘薬を飲んだのも生まれて初めてだったが、簡単ではなかった。何度も何度もトイレに行くが、出てくれない。結局、一時間半も便座に座り続け、イチジクカンチョーも動員して、何とか8割方出た。

  ところが、その間、あの日の激痛に似た痛みが走り、また腰が痛み出した。痛み止めの薬を飲んでいるにもかかわらず、痛みが治まらない。

中学の同級生で、福岡で開業医をやっている照くんに電話すると、「いきむと腰に負担がかかるからねえ」ということだった。

照くんにはこれまで本当に世話になった。医療ものの連続ドラマを二度やった時はもちろん、オフクロの介護のこと、脳梗塞が見つかった時、ことあるごとに照くんにレクチャーを受けた。医者と弁護士が友人にいると助かるというが、本当だ。

 

患者と医者という関係だけで、本音でスムーズな会話が出来る人がどれだけいるだろう。それは、ほとんど医者のほうに問題があると思うのだが…。

 

 やはり、一時間半も不自然な姿勢で息んだダメージは大きかったようだ。昨日までは、腰が痛くなると、何なんだ、これは…と、?マークが浮かぶだけだったが、今は、腰に痛みが走るたびに、あのCTの画像の、脊椎に浸食した黒い穴のようなガンに侵された映像がリアルに浮かんできて、これはガンの痛みか…と、痛みを受け止める感じが、まったく違って来た。

 

 

  午後1時頃にミヤちゃんが帰宅する。

冷蔵庫を覗いて冷凍のカルボナーラを食べるという。非常勤嘱託の先輩が心配して電話をくれ、長電話になる。次の私の勤務日は、31日。その日を何とかやりすごせれば、その次は8月6日である。

久留米の介護施設に入っているオフクロに会いに行くために、夏休で中5日を二つ作っていて、どっちかで行こうと思っていたのだが…それどころではなくなった。

「本当に大丈夫ですか? 本当に来られるんですか?」

と、先輩のIさんが言う。(歳は私のほうが上だと思うが)

「大丈夫です」と言うしかない。ともかく、行って泊まるだけが仕事のようなものなので、何とかなるような気がするが…。

 

 

  夕飯のための買い物に二人で出かけた。ミヤちゃんが仕事をリタイヤしてから、午後になると、「今日の晩ごはんどうする?」が、二人の口癖のようになっていた。

  近くの商店街には安くて美味しい魚屋さんがある。そこで刺身の盛り合わせを買って、手巻き寿司にすることにした。彼女はとにかく酢飯が好きだ。

 八百屋さんで小玉のスイカも買って帰宅する。スイカを見ながら、スイカ食べようかとミヤちゃんが笑って言った。

「スイカ」は数年前の連続ドラマであるが、ほとんど観てなかったのでDVDを借りて来て第一巻だけ観て、彼女が面白がっていた。特に、浅丘ルリ子、白石加代子を気に入っていて、続きも借りて来ていた。

  八百屋さんで買った小玉のスイカは、色が濃く、とても甘くてジューシーだった。「スイカの水分って凄いよね。塩も振るから熱中症対策には最高じゃない?」「うん、中学校の時、野球の練習試合の後、先生がスイカを買ってくれて、よく食べたなあ」などと話しながら、二人でスイカを食べていて、また不意に涙が零れた。

  振り返ったミヤちゃんが「泣いてるの?そんな場面じゃないんだけど」と笑った。「やっぱりケンさんには告知すべきじゃなかったのよね。結局、オタオタするんじゃない」と、姉さん女房みたいな言い方をする。

 「オタオタなんかしてないよ。勝手に不意に涙が零れてくるんだよ」生きているだけで哀しいんだから、命を区切られたんだから、そりゃあ哀しみは突き上げるさ…。

 

 

私は、告知に動揺しているわけでもないし、死ぬのが怖いわけでもまったくない。何かこの世に未練を残しているようなこともないし、それは本当なのだが、昨日告知され、死を覚悟して以来、たびたび不意に涙が零れて来る。

  ミヤちゃんは貰い泣きするわけでもなく、涙を浮かべるわけでもない。やはりどこか逞しいところがある。だいたい男のほうが女々しいのだ。ドラマや映画を観ていても、先に泣くのはいつも私のほうだった。 

 

 でも、そんなミヤちゃんでよかったと、しみじみそう思う。

 

  子供がいない夫婦だったので、友達のような関係でずっと来ている。友人には、長い間不妊治療をして子供を授かった人もいるが、私も彼女もそんなことをする気はさらさらなかった。若いころの彼女は浮世離れしたようなところがあって、まったく生活感を感じさせなかった。一旗あげようなんていう野心、あるいは向上心を持ってギラギラするのは田舎者なんだと、彼女と付き合って初めて分かったような気がした。

 

美術館巡りをして、歌舞伎鑑賞をして、自分の好きなものに囲まれていればそれでいい。そのための生活費は地道な仕事をして最低限の収入は得る。背伸びをしない。決して無理をするようなことはない。私と違って「足るを知る」ようなところがあった。私はいつもないものねだりをするタイプで、背伸びをしていつもアクセクする。そういうところもまったく正反対だった。

 

  ただ、彼女はいわゆるおばさん≠ノはならなかった。子供がいなかったせいもあるかもしれないが、子供がいても、いわゆるおばさん≠ノはなっていなかったと思う。「私の友達は、会っても誰もダンナの話とか、子供の話をする人は一人もいないよ」と、よく言っていた。

 

  私は子供が欲しいと思ったことはほとんどなかったが、50歳を過ぎたころから、子供がいたらどんな人生になったかなあと時々思うようになった。そして、彼女の子供だったら産んでみたかったなあと思った。彼女とは手をつないで歩いたりすることはなかったが、そんなふうに思ったのはミヤちゃんだけだった。時すでに遅し、だったが…。

 

 

  痛み止めが途切れる頃(だいたい5、6時間だろうか)になると、腰がかなり痛む。だが、夕飯の手巻き寿司で、美味しい刺身だと、どうしても酒が飲みたくなる。ビールをコップ一杯と日本酒をほんの少し飲む。

 だが、それがいけなかった。腰がズキズキと痛みだす。やはり、酒はもうダメか…。

 

 

 

727日(土曜日)

 

  朝、私は御飯と味噌汁。ミヤちゃんはパンとコーヒーだった。本当に何から何まで正反対なのである。彼女が会社勤めしていた時は、朝食を一緒にということはかった。私は夜型の脚本家で、自宅で仕事。土日だけは彼女も朝が遅く、パンとコーヒに付き合ったが、一昨年、彼女が会社を辞めてからは、私も週二回くらいは我慢出来るが、毎日パンとコーヒーというわけにはいかず、味噌汁とコーヒーの匂いがバッティングするようになった。

  私は、寝酒を飲まないと眠れない体質になっていたので、朝はコーヒーを飲んですっきりはさせたい。しかし、朝食は、御飯と味噌汁が食べたいのだ。

 

 

実は、彼女が会社を辞めてから、私はウツ症状に悩まされることになった。彼女が会社を辞めたからというわけではないが、一日24時間、毎日一緒にいるという事態に戸惑ったようなところが、間違いなくあった(それはひとえに自宅を仕事場にし、執筆しているという事情によるものだが)。ミヤちゃんにしてみれば、何十年と勤めた会社をやっと辞めて自宅でのんびりしたかったのに、それを邪魔者扱いするように、ウツになるなんてと思ったようなのだ。

ただ、それは一つの要因に過ぎない。その年の初め、転機になると自分で意気込んでいた企画がふたつともダメになった。仕事への失望、自分の限界、将来への不安などが、還暦を前にして、どっと押し寄せて来たのだ。

 

昔、持ち家か賃貸か、考えたことがあったが、どっちもどっち、生き方の問題だと思った。不安定な計算の出来る仕事をしているわけじゃないし、ローンに縛られて脚本を書くということがどうしても嫌だった。しかし、計算してみると、昔ローンを組んでおけば、ずっとかなり高い家賃を払ってきたので、それよりはるかに安いローンで今頃はもう家賃を払わずに済んでいたのだった。ローンに縛られるような生き方はしたくないと言いながら、家賃だって結局は払い続けるのだ。

ミヤちゃんは、“そういう信念でやってきたのなら、今頃になって揺らがないで。”という。

 

私には、貯金という概念がなかった。若い頃は金がないのが当たり前だったから、それで何とでもなったし、どうにでもなると思っていた。一時期、それなりに稼いだことがあったが、ザルのように使った。あの時の金を少しでもとっておけば…と、後悔したが、彼女も一緒に、海外旅行へ行ったり、遊びに行ったりしてきたのだ。

ただ、彼女自身はほとんど無駄使いをしていない。光物にはあまり興味がないようだし、高価な服を買いたがるわけでもない。貯金が趣味ということもないし、決して、ケチでもない。地道に定年まで働いて来たのだ。

 

 

ある時、千葉の柏に一人暮らしをしていた彼女の伯母さんが、痴呆が進み、施設に入ることになり、その家に誰か住んでくれないかしらと、その伯母さんの面倒を見ていた彼女の従妹が言い出した。彼女が手を挙げた。彼女はマンション派だったが、私は、小さな庭さえあれば、一軒家のほうが好みだった。庭いじりと猫が飼えれば、他にさしたる望みはなかった。二人で下見にも行った。柏駅から、十分ちょっとだ。なかなか悪くない。ただし、風呂、キッチン、その他、大幅なリフォームが必要だ。

 

次第にその気になっていくうちに、リアルな問題がもろもろ浮かび上がって来た。伯母さんが亡くなったあと、遺産相続は本当に問題ないのか。タダというわけにはいなかいだろうし、しかし、賃貸で何年契約にするのか。買うのならともかく…で、その土地の地価を調べてもらったら、柏から徒歩15分くらい、坪数で、四千万以上はするようなのだ。とても手が出ない。

と、そうこうしているうちに、中古マンションってどれくらいするんだ?と、調べてみると、23区内でなければ、何とか手が届くかもしれない物件もある。そこから中古マンション探しが始まった。

 

彼女は、バスは絶対嫌だと言った。しかし、これからはお互い通勤するわけではない。部屋の広さ、日当たり、築年数、さまざまな条件の中で、駅からバスでいいとするのが一番ダンピング出来るのだ。だが彼女は徒歩圏内を譲らない。築年数では耐震基準が変わって以後を絶対譲らない。最初は石神井に拘っていたが、さすがにそれは諦めたものの、羽間という読めもしないところまで行って、疲れ果てて帰宅する毎日が続き、もう中古マンションも買うことを私は諦めかけた。

 

口惜しかった。稼いだ時、家を買う意識があれば、ミヤちゃんにこんな思いさせなくて済んだのだ。それはともかく、高い家賃をこれからずっと払っていけるのか…。ほんの数年前までは、私の仕事で、一挙に買える可能性もなくはなかっただが、出会いの誤算、相性の問題などで、その可能性はほとんどなくなっていた。

 

この仕事、TVや映画を観ればすぐ分かると思うが、才能のある人なんてほとんどいない。いや、才能なんて求められてもいないと言いたいくらいのドラマや映画ばかりだ。下手に才能があってもいけない。ほとんどは、処世と出会いと巡り合わせの運なのである。その展望さえ私には閉ざされたような気がして、ウツになりかけていた。

 

散々見て回った。ネットの画像を見ながら、もう家は諦めようと思っていた時、ヘンに生活感のないモダンな部屋の画像が目に入った。彼女に見せると、かなり興味を持ち、見てみようか、と言い出した。

そして下見に行った。まだ住んでいるご主人が対応にあたってくれた。建築家だった。中古マンションのほとんどは、バス、キッチン、トイレはリフォームしないとという物件ばかりだ。特に潔癖症の彼女だとそれは必須になる。だが、そのマンション(今住んでいるマンションだが)は、驚くほど綺麗で、バス、キッチン、トイレも、潔癖症の彼女の査定でもリフォームは必要なし、であった。それなのに、なぜこの値段? と、私たちは不思議だった。

というより、なぜ、こんなに綺麗なままなのだろう。持ち主の建築家によれば、本宅は池袋にあって、ここは別宅で使っているという。どういうこと?

仲間とゴルフをした帰りに集まったり…というような話だった。で、なんでそんなに安いのかというと、今、所沢に新たな別宅をリフォーム中で、即金でお金が入用なようなのだった。つまり、建築家は趣味と実益を兼ね、自分の好きなようにリフォームを次々にしているようなのだった。フローリングもよくある色や材質ではない。不動産によれば、グレードが高いフローリングだという。しかもほとんど傷ついていない。キッチンとダイニングの間仕切りにしているガラス戸も、のちに我々のリフォームをすることになった業者がこんなガラス、いま出来る職人はいないんですけどねえと言った。建築家だからそういう職人さんも知っていたのではというと、納得していたが。

というわけで、私たちにとっては奇跡的な巡り合わせだった。バス10分のことすら、彼女は気にならないほど気に入ったようだった。ここを終の棲家にすることに決め引越した。

 

 

今日は昨日ほど腰の痛みはない。やはり昨日1時間半いきんだダメージは大きかったようだ。しかし、痛み止めの薬が切れ始めると、やはりかなり痛み出す。だいたい5,6時間くらいしか持たない。いや、もっと短いような気がする。31日に勤務が出来るかどうか、それを試すためにも、夕飯の買い物に出かける。

 

  夕飯は彼女の大好物、豚の生姜焼き。キャベツの千切りにキュウリの千切りを乗せ、マヨネーズとフレンチドレッシングを振り、その上に生姜焼きを乗せるのがわが家流。タレは生姜のすりおろしに、醤油、酒、味醂がオーソドックスだが、甘味はリンゴのすりおろしがベスト。ただ、そのためにリンゴ一個買うのが面倒で、最近は豚肉にほんの少し蜂蜜を塗る。それで肉も柔らかくなる。ただ、タレの絡み方が結構難しい。肉をタレに漬けておくと、焦げたりするので、私は、肉だけ最初に焼いて焦げ目をつけておき、その上にタレをジュッとかけるやり方をしていたが、今日はミヤちゃんが自分流で肉をタレに漬けこんで自分流にやった。大成功。やれば出来るじゃん。

 

 

 

7月28日(日曜日)

 

 

  今日は、さほど腰が痛まないので、痛み止めなしで何とか歩けないかと、昼飲まないまま、夕方四時頃からの買い物に出かける。しかし、やはり無謀だったか。かなりシンドイ。

  商店街の外れに、「韓国のオモニが作ったチジミ」という店がある。微妙に不安なぼろい店構えだが、チジミが好きなミヤちゃん、突進。10分かかるという。待つことに。彼女、その店で茹でたトウモロコシを発見したようで、彼女は、トウモロコシを見ると必ず買いたがるし、先日、商店街のスーパーで買ったのが不味かったので、これ売りものですか?と、思わず聞いたらしい。すると、売り物じゃないけど、いいよ、一本100円でと言われ、買ったのだ。それが美味しかった。味は濃厚で。

 

夕飯は、「ととや」で買ったイワシのフライ。ミヤちゃんはカマス干物。鮎の塩焼きも、美味しそうに見えたので、ビールのつまみに買う。

 コップ一杯のビールと焼酎をほんの少し飲んだら、21時まで爆睡。

 

明日はCT造影剤の検査だ。

 

 

 

729日(月曜日)

 

 

  朝の5時前に目覚める。トイレタイムでの目覚めなのだが、腰がかなり痛い。昨日は腰の痛みは和らいでいたので、一回しか痛み止めを飲んでなかったが、やはり痛み止めがないとダメのようだ。トイレのあとすぐに飲んで、ベッドへ。

 一眠りして7時過ぎに起床。便意を催したので、便座に座る。息むとまた痛みが走るような気がして、おそるおそる少しず息んでみる…と、出てきた。ほとんど息まずに、半分くらいは出た。もう少し出したいがこれ以上は息めない。これでヨシとしよう。便秘の薬は確実に効果があったようだ。

 

 順天堂練馬に行く

午前11時、CT造影剤検査を受ける。

 検査は20分程度で終わる。

 

8月1日に胃カメラ、この二つの検査結果をみて、8月9日に担当医のW医師が、どの内科医に回すかを判断するとの段取り。

 そして、予約として8月23日に大腸内視鏡検査が入っている。だが、それまでに骨に転移したガンは進行しないのか。痛みが増すことはないのだろうか。

 

  病院内のレストランで昼食。順天堂お茶の水もタリーズが入ったりしてレストランも清潔感がありなかなかだが、順天堂練馬も同様だ。ミヤちゃんはここのレストランで昼を一緒に食べるためについてきたようなもの。彼女は「担々麺がある!」と、即決。

  私は、卯玉重かカレーにしようと思っていたが、オムハヤシはあるがカレーがない…。通常ならオムハヤシだが、朝から何も食べていないので卯玉重もオムハヤシも重いような気がして、中華丼を内定。

 

  店に入ってメニューを見ると、ミヤちゃんが「シェフのおすすめ、広東麺…野菜も多いし、こっちのほうがいいかな」と、担々麺と広東麺を迷う。

  広東麺と中華丼は、具はほとんど同じで、麺とご飯の違い。私もメニューをみたら、エビチャーハンが美味しそうに思えて来て…エビチャーハンと広東麺を少しずつ分け合うというのがベストではないか…と、決定。

  中華、洋食、和食とあって、大丈夫か?と、最初はそう思ったが、どれもなかなかの味なのだ。二人とも完食し、満足。痛み止めを飲む。

 

  ただ、ひと月前から、食べ物が喉につかえる感じがある。原発が食道ガンということもあるのだろうか。しかし、多少のつかえ感はあるとして、まだ普通に食べられるのに、食道ガンが脊椎に転移しているなんてことがあるのだろうか…。

 

  夕飯は玄米を昨晩から水に漬けておいた。引っ越し前に福岡の友人から送ってもらっていて、時々は食していたが、微熱、腰痛、引っ越しなどですっかり忘れており、女房が昨日、「あ、そうだ、便秘には玄米がいいんじゃない?」と、言い出して、そうだそうだと、思い出した次第。

  玄米に、おかずはどうするか。マグロヌタを思いつく。残念ながら、今日は月曜日。「ととや」を含め商店街はすべての店が休み。仕方ない。スーパーで分葱とマグロの刺身、チューブ入りの酢味噌を買って、帰宅する。

 

  私は脚本家で、基本的に自宅を仕事場にしてきた。女房は会社勤めをしていて、土日以外は出かけていたので、食事は基本的に私が担当し、後片付けは彼女の担当だ。そのスタイルが定着するまでには、長い葛藤の歴史が、というほどのことでもないが、ある程度の時間は要した。

 

  まず、一緒に暮らし始めた頃、ほんの初期の頃だが、彼女が作った料理に私は必ず何か文句を付けた。一言多いのは性分だが、それで彼女は料理を作るのがイヤになったようだ。もともと彼女は掃除や洗濯は好きだが、料理を作るのはあまり好きじゃないようだ。というより、時間がかかるのだ。それは潔癖症気味ということもあり、汚さず、丁寧に、手順を踏んで作る。決して料理が下手なわけではないのだが、時間がかかってしまう。

  最初はそれを批判するようなことも言ったが、今はもう完全に私は納得している。彼女のおっとりしたところ、ほんわかしたところは好きなのだから、同時に早くしろと言うのはこっちのわがままでしかない。そう納得するまでに、少し時間はかかった。

それなら、私のほうが早く作れるんだったら自分で作ればいいのだ。しかも、私は料理を作るのが苦じゃないし、むしろ好きなほうだ。一日中ワープロに向かっているので、散歩がてら買い物をして料理を作るのはいい気分転換になった。

  ただ私は作るのは早いし、何品でも同時に作れるが、私が作ったあとのキッチンはめちゃくちゃだ。「なんでこんなに汚さないと作れないの」「綺麗にしてたら、早く何品も作れないよ」

  など、何もかもが正反対の対立葛藤はあったが、僕は作るのが苦にならない。彼女は後片づけが苦にはならない。掃除、洗濯、食器洗い、何事も、きれいになっていくのは好きなのだ。潔癖症の面目躍如である。

  というわけで、お互い得意分野を担当するということでずっとうまくやって来たのだった。しかし、ここにきて、私の体調不良のため、それが少しづつ崩れつつあるが…。

 

私が作ったマグロヌタはそれなりに美味しかった。

 

 

 

7月30日(火曜日)

 

 

  今朝も5時頃、トイレのために目覚める。何もこれはガンになったからではない。50歳を過ぎたころから、必ずトイレのために目覚めさせられるようになっている。寝酒は飲むし、当然か。痛み止めが切れかかっているのか、やはり腰が痛む。痛み止めを飲んで、また寝る。

  9時に起床。10時頃にミヤちゃん、いつもの朝食。サラダとパンとコーヒ。ハムと卵。これが彼女の定番。ただ彼女は、パンにこだわる。

 ・昨日、玄米だったので、今朝はパンでもいいかと半切れ。

 ・この時間に食べると、午後2時頃、どうしても腹が減る。

  レトルトのカレーを半分づつ食べる。彼女はレトルト、インスタント麺の類はほとんど食べない。私は、カレーは毎日食べても飽きないタイプだし、レトルトカレーのマニアなくらいで、ミヤちゃんもお付き合いで食べる。

 

  薬を飲み始めて以来、初めていきまずに排便出来た。半分くらい残っていそうな気もするが、いきむのは避けて、そこでやめた。

夜はどうするか。無性にホウレンソウの白和えが食べたくなる。

 

「ととや」で、ぶりの照り焼きを買う。豆腐の味噌汁。ホウレンソウの白和え。

 

夜、NHKのIディレクターから電話。「東京が戦場になった日」の局内試写があったという。「お陰様で評判がよく、ありがとうございました」とのこと。彼とは、三年前くらいか、清張原作「顔」をやった。その時も、今回も、一度も彼から電話があったことは一度もなかったので、意外だった。よほど評判がよかったのだろうか。

これまで謙虚なディレクターに私は出会ったことがないと思っていたが、彼は監督として思慮深く、謙虚で、職人に徹している。民放のディレクターには似たようなタイプが多いが、NHKは本当にいろんなキャラクターのプロデューサー、ディレクターがいるなあと思う。12時過ぎに、Sプロデューサーからもメール。特にNスぺ班に評判がよかった由。今日は遅くなったので、また明日電話しますと。

 

 

 

7月31日(水曜日)

 

 

朝5時に目覚め、痛み止め。9時過ぎ起床。パン、コーヒー、サラダ、卵。13時頃、玄米、サラダ、ひじき、タクアン。弁当箱にサラダだけ入れる。天領水をペットボトルに2本入れ用意する。食後、まだ痛み止めは効いているが、用心のため、飲んで、13時半、自宅を出る。

 

バス、電車、乗換、何とか仕事場に向かう。14時半、笹塚に着く。ちょっと早すぎたか。コンビニでおにぎり3個。「やさしい麦茶」2本。明日胃カメラなので、21時以降は何も食べてはいけないし、消化に良いものだということなので。

 

まだ一時間近くある。K中学まで歩いて5、6分だ。NHKのSプロデューサーから電話。昨日の試写、「センター長が前半も中盤も泣けたが、最後のハガキのところでまた泣いた」という挨拶だったという。大いに宣伝して欲しいと言ってたが、その予算は誰が出してくれるのだろうと、Sプロデューサー。

 

彼との電話で時間が潰せ、4時前に学校へ入る。

夏休みで静かだ。

 

階段はスローモーションのような速度で上り、何とか勤務を終える。痛み止め越に、骨が疼くのを感じる。痛み止めで何とか抑えているのが感じられる。

夏休みのやり方の確認のため、今年四月に一緒に採用された同期のKさんにメール。その後、電話があり、メール交換。核心までは話していなのだが、状態は芳しくない旨伝えると、去年、肺がんで一時期苦しんだため他人事とは思えないと、暖かいメール。

 

いつもは5時50分目覚ましだが、用心のため、5時半に設定。

飲まず食わずで、却って眠れなくなる(いつもは寝る前に必ず何か食べる)。一二時間うとうとして、5時過ぎに起床。

 

 

 

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がん闘病記 中園健司
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