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第3章

 

8月1日(木曜日)

 

何とか勤務終え、学校の前、井之頭通りでタクシーを止めようとするが、来ない。仕方なく、駅まで歩く。駅で東京無線を拾い、順天堂練馬へ。

940分に着く。診察券を差し込み、一階の内視鏡センターへ。受付を済ませ、待合椅子で座っていると、ミヤちゃんが現れる。来ると昨日言っていた。順番が来て呼ばれ、看護師さんの説明を受ける。二十年くらい前に胃カメラを飲んだことがあると言うと、じゃあ、初めてのようなものですね。

二十年前からは随分楽になったと聞いたことありますが、本当でしょうか?と訊くと、二十年前でしょ? それは楽になってると思いますよと言うが、彼女、二十年前は小学生だったんじゃなかろうかというくらい若い。

自動マッサージ機のようなソファに座らされ、喉の麻酔を飲んで待つ。隣に二人同じ姿勢で待っている。しばらくして、いよいよ診察台に横たわる。胃カメラ挿入。苦しい…。何度も立て続けにオエオエ戻しそうにゲップが出、涙が出る。力抜いてください、はい、そうです、と看護師さんが私の背中を終始摩ってくれている。

長い…二十年前よりはるかに長い…ような気がする。

「食道の組織をもう一つ取りますから、もう少し我慢してください」やはり食道に転移しているか、食道がんが原発なのか…。食道あたりから突き上げてくるものがある。

 

終わっても、薬の苦さが込み上げて来て、オエオエなる。涙が出て、頭がふらつく。大丈夫ですか? 少し休みますか? と看護師はミヤちゃんが座っている椅子のほうへ連れて行く。ここで少し休んでいかれてもかまいませんからと、看護師。苦しんでいる私を見て、他の人は平気そうにしてたよ、と言う。ダメだ、俺、胃カメラは…。組織を取ったので、一時間は食事も水も控えてください。今日は、消化のいいものを召し上がって、刺激物やアルコールはダメです。

 

院内レストランどころではなく、そのまま帰宅する。帰宅し、そのままベッドに横たわる。喉の麻酔が切れかかっているのか、少し痛む。15時頃、べッドから起き上がるが食欲はない。だけど、何か口に入れたい。水羊羹が食べたいというと、ミヤちゃん、コンビニへ買いに行ってくれる。セブンイレブンの水ようかん、捨てたもんじゃない。セブンイレブンの冷凍、スイーツは本当に進化を遂げている。

 

午後、TBSのIさんから電話。重大な話があるので時間がおありの時に電話くださいとメールをしていた。Iさんはデビュー以来お世話になっているがこのところ、何度も電話を貰って、不義理をしていた。これ以上引っ張るわけにもいかないような気がして、事情を話した。

 

夕食。「ととや」で買って来た、鉄火巻きとキュウリ、おしんこ巻きのセットを半分づつにわけ、私は、お粥にシャケ。豆腐の味噌汁。実に美味い。宣告を受けてから、毎回の食事が本当に美味い。慈しむように食べているからだろう。

ガンでよかったとやはり思う。

 

夜、Yさんに電話し、これまでの経緯を詳しく説明する。皆、反応が難しそうだ。逆の立場でもそうだったろうと思う。気休めを言う余地もあまりないし、どう励ましようにもないだろうし、当然だ。

 

 

 

8月2日(金曜日)

 

ミヤちゃん、和裁の日。パンとコーヒー、サラダを一緒に食べ、慌ただしく出かけていく。今日は腰がそれほど痛まないので、痛み止め飲むのをやめてみる。

 

順天堂にはホスピスはないとのこと。以前入院したことのある荻窪の東京衛生病院にホスピスがあるようなので、電話してみる。実に丁寧に詳しく説明してくれた。最初に相談をし、方針を決めたら、待たせてもひと月くらいではないかと言う。ホスピスはすべて個室。入院費用は月の上限が8万〜10万。それと個室代。3ランクあるようだが、何とかなりそうだ。

 

もうひとつ。ケアタウン小平クリニックという訪問介護のホスピスにも電話をしてみる。三人いる医者の一人が電話に出てくれ、ここも丁寧に詳しく説明をしてくれた。週二日の訪問介護で、だいたいの費用を聞くと、病院の入院費よりは少し安めだという。また、ここの患者さんの7割から8割が自宅で最期を迎えているという。

 

ともかく、9日の検査結果を聞いてからだが、ホスピスは何とかなりそうな気がして、心が晴れる。午後2時頃、ごぼう天うどんを作って食べる。

 

痛み止めを飲まないまま、セブンイレブンまで歩いてみる。やはりけっこうシンドイ。水羊羹、あんみつ、他、冷凍のお好み焼(これが実に美味い)などを買って自宅に戻る。痛み止めを飲んでないと何もする気が起きない。ベッドで仮眠する。ミヤちゃんからこれから帰宅するとの電話があり、起き上がる。やはり痛み止めを飲む。飲むと、20分もすれば楽になる。あんみつを半分食べる。美味い。

 

夕食。白い御飯を炊き、私はサバの味噌煮。ミヤちゃんはシャケ。彼女は青魚が苦手なのだ。キュウリとワカメの酢の物を作る。コンビに冷凍の焼きナスというものがあり、試しに食べてみるが、それなりだった。焼きナスは、焼いて、皮をむいて、はなかなか面倒。でも、好物なので、夏はけっこう食べるが、冷凍の焼きナスとは…!

 

夜、友人のKさんに電話。元奥さんが乳がんで骨に転移、その後どうしたのか、心配だったので、電話したのだが、こっちの事情も説明。けっこう驚いていた。奥さん、抗がん剤治療は本人がしないと言って、やってないと聞き、それは大正解だよ、と嬉しくなった。

 

明日は、リビングとミヤちゃんの部屋の間仕切りを探しに、立川ブラインドのショールームへ行きたいのだが…。

 

 

 

8月3日(土曜日)

 

  いつもの朝食後、「東京が戦場になった日」のDVDが届く。玄関ドアのポストボックスに入っていたのに気付いた。Sプロデューサーは31日に、今日これから送ります、と言っていたが、マンションエントランスのポストには入ってなかったので、どうしたんだろうと思っていたが、玄関ドアのポストボックスに速達なので、1日には着いていたのだろう。前のマンションの玄関ドアにはポストボックスが着いておらず、差し込まれたらすぐ分かったが、新居マンションではポストボックスを開けないと郵便物が分からない。そのことに慣れてなかった。

 

 「東京が戦場になった日」を観る。

 いつもそうだが・・・脚本家としての拘りが頭をもたげてくる。

  観終わってすぐ、Sプロデューサーからのメールに気が付く。着きましたか?のメールが入っている。電話をして話すが、もう一回見て、また連絡しますと答える。

 

午後、二時頃、つけ麺を半分づつ食べて、新宿立川ブラインドのショールームへ。リビングとミヤちゃんの部屋の間仕切りを探しに行く。9日にはどんな審判が下されるか分からないから、今のうちにそろえておきたいという気持ちがあるのだ。新宿南口の人の多さにうんざりしながら、何とか10分ほど歩いて行く。 あらかじめ、ネットで決めていたのを見て、ほぼ、それに決める。あとは色の問題で、もう一度自宅マンションに戻って冷静に判断しようということになった。

立川ブラインドからまた南口に戻って乗り換えする気にはならず、タクシーで西武新宿駅へ。夕飯のために、スープストックでカレーと東京ボルシチを買って帰宅する。

 

夜、再び「東京が戦場になった日」を見る。

 

 

 

8月4日(日曜日)

 

9時頃朝食。

食べたら、便秘の薬も飲んでないのに、もよおす。チャンス。ほとんどいきまずに、排便。私は通常体重の増減がほとんどない。だから、体重を測る習慣がほとんどないのだが、このところ自分の太ももがかなり痩せてみえる。体重を量ってみると60キロ。6月12日の健康診断の結果表を見ると、64キロとなっている。二カ月もたってないのに、4キロ減。通常は68キロか72キロくらいあったこともあるような気がするが…とすると、このところ10キロちかく痩せた可能性もある。

 

もう一つ、このところ、足と下半身が冷たくてしかたがないので、この夏の盛りに上はTシャツ一枚だが、靴下とトレーナーのズボンを履いているのだ。いったいこれはどういうことなんだろう。

 

昼過ぎに買い物。痛みはさほどないが、足に力が入らない。今日は残り御飯で、カニレタスチャーハンをしようと、「ととや」でカニを買ってくる。コロッケ専門店でおやつのミートコロッケとキーマカレーコロッケ。酒はほとんど飲めなくなったが、赤ワインをチビリチビリ飲むために500ミリリットルを買ってくる。

 

酒をほんの少し飲むと、腹部の当たりがキリキリと痛む。うーむ。やはり酒はダメか…。カニレタスチャーハン、昨日御飯を柔らか目に炊いていたのもあり、玄米の残り御飯を混ぜるが、かろうじて成功。五段階評価で言えば、B。

 

 

 

85日(月曜日)

 

  朝起きると、かなり熱っぽい。体温を測ると、81分。

録画していた「田中泯 ベーコンを踊る」を観る。ミヤちゃんの妹から電話が入る。それどころじゃないのよ。ケンさん、死んじゃうんだよ」と、子機を持って別の部屋へ移動。お盆で恒例のウナギを食べに行こうという誘いだったようだ。とにかく9日までは何も決められないと答えたようだ。

 

  暑いので、夕方四時を過ぎてから買い物に。といっても、今日は卵の補充だけ。卵は切らさない。卵さえあれば私はどんな食事でもだいたいOKなのだ。今日は商店街が休みなので、最短のコンビニ、セブンイレブンへ。昨日、コロッケ専門店でハンバーグを買っていたので、卵の補充だけだったのが、非常食も買っておきたいとミヤちゃん。結局、卵だけのはずが、コンビニのおおきな袋二つに。家に戻ると、非常食というより、スイーツや冷凍食品が多い。買いたいものを買っていたらそうなったのだ。うーん…。コロッケ専門店のハンバーグは、いまいちだったか。

 

 

 

86日(火曜日)

 

 朝9時朝食。今日は学校の日。サラダ弁当を作る。レタス、キュウリ、トマト、卵焼き、ハムが定番。ヤマザキ(商店街にあるスーパー)のヌカズケも。

午前中に風呂。このところ足が冷えて仕方ない。どういうわけなんだろう。こんな真夏に靴下が欠かせない。

 

  順天堂近くの薬局に電話して、錠剤と座薬の違いについて訊ねる。錠剤も座薬も効果はだいたい6時間。錠剤は一日三錠まで。24時間持たない。いや4錠くらい大丈夫です。出来るだけ食後、無理な時は何か口に入れる。胃薬は必ず飲む。座薬は、一日二回。外出する時などに使うといいという。なるほど。さっそく、座薬を入れる。

 

 午後1時半、立川ブラインドで決めた間仕切りの取り付け寸法を測りにゆとりフォームの人が来る。

 

  2時過ぎに出かける。せっかく良い自転車を買ったのに乗れない。自転車のほうがラクかと思ったのだが、前傾姿勢で漕ぐほうが下半身に悪いようだ。ゆっくり歩くしか手がないのだ。

 

 バス→西武新宿線→(乗換)→山手線→(乗換)→京王線笹塚→徒歩。

やはり、座薬のほうが効目が強い。ほぼ普通に歩ける。

夏休みの学校は静かだし、教員、職員も早めに帰宅するし、なかなかいい。

 

 

 

8月7日(水曜日)

 

 朝、5時半に起床。座薬。

 帰路、西武新宿線でウトウトし、久米川まで乗り越す。(と、分かったのはあとからのことで)ともかく階段の上り、反対側上りホームへ。なぜか一個乗り越したと思い込んでおり、次の駅で下車。花小金井ではない。どこ? 小平だった。十分待って、再び上り電車へ。隣の花小金井で下車。

 

  バスから車窓を眺める。死を宣告されると風景がこれまでと違って見えるというような言い方を読んだり聞いたりしたような気がする。木々の緑が鮮やかに感じるとか、確かに心地よい風吹くと、これまでに感じたことのないような心地よさを感じる。

 

死んだらどうなるんだろうと、リアルに考えてみる。おそらく、無だろう。そうすると、風を感じること自体が生きているということで、それが無になると思うと、やはり風を感じること自体が、これまでと違って心地よく感じる。

 

  それより何より、自分の中に流れる時間の違いを感じる。これまで何を焦ったり、アクセクしたり、苛立ったりしたのだろうと思う。今は、時間が止まっているように感じる。どこへも行く必要がないのだ。もうじき無になる、それを待ってるだけなのだから。そもそも人生はそうなのだ。何を焦ったり、アクセクしたりしてきたんだろう、そんな必要なんか微塵もなかったのに。

 

  ミヤちゃんはいつも焦ったりアクセクしたりすることはなかった。本当に何をするにも丁寧で落ち着いている。それを私はなじったりしたこともあった。本心はそういう彼女といるのが好きだった。一緒になって焦ったりアクセクしたりされたらお互いが疲れるだけだ。ミヤちゃんは正解だったのだ。

 

  それでいいのだ。人生なんてどこへ登り詰めようと、砂上の楼閣のようなもの。それより、今生きている時間をゆっくり味わうこと、それが一番大事なことで、生きている意味のような気がしてきた。あとどれくらいそんな時間が与えられているのか分からないが、そういうことに気が付いただけでも、やはり、ガンで良かったと思う。

 

 10時半頃帰宅。座薬も切れかかっているのか、太腿の裏とかが痛む。サラダとレトルトカレーを半分づつ食べ、錠剤の痛み止めを飲む。ベッドに寝る。やはり学校勤務がダメージを与えているのか。買い物はパス。ミヤちゃん一人で行って来てくれる。

 

 夕飯。私は、「ととや」の塩サバに大根おろし。切干大根。ヤマザキの自家製浅漬け。ミヤちゃんはシャケ。「ととや」の魚は本当に何でも美味い。しかもリーズナブル。スーパーの刺身も魚も石神井、小平あたりでは食えたものじゃない。ここは近くに巨大な滝山団地があるので、商店街は当分潰れないだろう。

 

  食後、錠剤の痛み止め。今日はじっとしていても痛みが走る。しかも、股間(リンパ?前立腺?)がキリキリと痛む。どういうことなのだろう。

 

早く、9日の審判を受けたい。いよいよ、明後日だ。

 

  今日、非常勤嘱託の同期のKさんに脚本家であることを明かし、メールしたら、驚きました! 僕も若い頃映画の仕事に携わっており、橋本忍さんとご一緒したこともありますと。「砂の器」や「八甲田山」もと。こっちが驚く。映画に携わっていたとは…いったい何を?奇遇なことがあるもんだ。Kさんは私がガンであることを薄々感じているだろう。「僕も、一時期肺がんで苦しみました。心機一転のつもりでK中学へ」と、あったから…。

 

 

 

88日(金曜日)

 

  早朝、4時頃にトイレに行き、7時に起床。デラウェアを数粒食べ、すぐに痛み止めを飲む。今日は早めに、9時前に朝食。少し、痛み和らぎ、学校も何とか大丈夫か。厚焼き卵を作り、サラダを弁当箱に。

ミヤちゃん、私の昼と自分の夕食にと、肉じゃがを作ってくれる。12時半頃、昼食。久しぶりの肉じゃが、ちょっと薄味になったようだが、美味い。1330分に座薬。14時に出かけるが…かなりシンドイ。足首などにも痛みが来て、下半身にまったく力が入らない。痛み止めが効かなくなるとは、症状が酷くなった時と、薬局の人は言っていたが…。

 

バスで花小金井まで。高田馬場、新宿で乗り換えるのは通常なら簡単なことだが…今の状態では体力を消耗しすぎるかも…高田馬場を通過して西武新宿駅まで。そこからタクシーでK中学まで行くことにした。学校へ着けば、何とかなる仕事なのだ。乗換駅の混雑、人の流れの速度に今は合わせられない。誰もいない校舎は、自分のペースで歩けばいい。だが、階段をどんなに遅いスローモーション五倍速でも腰が痛む。足にまったく力が入らない。症状が酷くなっているとしか考えられない。もう限界か…。

 

  明日は審判が下る日。地裁判決といったところか。順天堂練馬、13時の予約。勤務明けが845分。時間が中途半端すぎる。腰の痛み次第だが、池袋で「終戦のエンペラー」が10時から12時までなのでちょうどいい。最後の映画鑑賞になるかもなあ。

 

『風たちぬ』(宮崎 駿アニメ・昨日、BS番組を見た)〜

 

ガンの骨への転移を知らされ、ガンも死も冷静に受け入れられた。それはもうこれ以上、シナリオでアクセク苦しみたくないという正直な気持ちだったが、こうして学校に来ていると、だからこそ、これからはのんびり、日常の何気ないことをミヤちゃんと二人でゆっくり味わっていきたいという欲がもたげて来る。

 

企画が通るか、仕事の発注があるかでヤキモキし、もがき苦しみながら書き、プロデューサーやディレクターにあれこれ言われ、何度も書き直し、やっと仕上がったかと思えば、なんでそうなるの、ということも多く、その都度、ミヤちゃんを巻き添えにしてしまった。のんびり生きたいミヤちゃんにとっては迷惑な話だったろう。本当に申し訳なかった。僕が書いた作品が仕上がったものを楽しみに待ち、出来上がったのねと、心穏やかに観たことは一度もなかったのではないだろうか。

 

彼女は、何者でもないフリーターの私と結婚した。脚本家としてデビューしたのは結婚一年後だったが、連続ドラマに入り、忙しくなった頃、ふと「前のほうがよかった」と言ったことがある。やっとデビューできたのにどうしてだろうと思ったが、今は、その気持ちがよく分かる。私が自宅で仕事をしているので、気が休まることがなかったのだろう。私は毎回毎回、苦しんでうんうん唸って、食事も喉を通らないことが多く、ほとんどの仕事でそうだった。

 

だから、これからは彼女を巻き込むことなく、のんびり彼女のペースで残りの人生を楽しませてあげたかった。と思っていた矢先にこんなことになってしまった…。でも、お互い惹かれ、自分で選んだ。もろもろ誤算があるとしたらお互い様ということで、お互い成仏するしかないよね。

 

 

 

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がん闘病記 中園健司
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