はじめに
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* 著書紹介
* おわりに
第5章
8月19日(月曜日)
朝、冷奴、
トイレ、何日振りだろう。しかし、なかなか出ない。イチジクカンチョーまで動員して、何とか排便出来たが、半分くらいだ。残り半分たちが出たい出たいと言ってくる。結局、二時間トイレの中でうなり、ほぼ全部を出し切った。
順天堂練馬へ入院。
二時間遅れて、正午少し前に入院手続きを終えて部屋へ。
座薬を入れて、3時間。一番効いていい時だが、腰が痛い。ベッドに横たわると、悪寒がしてくる。口がカタカタとなる。こんな悪寒はいままで経験したことがない。座薬、点滴計画。座薬を3回、12時過ぎは点滴の痛み止め。
点滴開始。
2時過ぎに点滴の痛みどめ、効かず。3時頃、猛然とした寒気、悪寒に襲われる。看護師が電気毛布を持って来ましょうという。そういう問題か? この寒いは気候の寒さからではなく、ガン腫瘍による発熱だろ、重ね着で済む問題か?
スエットスーツに靴下、その上に毛布二枚、その間に電気毛布。ところが、これで震えが止まったのである。
8月20日(火曜日)
9時頃、抗がん剤の説明。
「10時頃から始めたい。一時間、考えてください。それで抗がん剤治療をしないというのなら構いません。」とY先生。
看護師に「やります」と、伝える。
10時過ぎ、「もう迷いはないですね」と、Y先生。点滴の痛み止め、効かなかったらやめましょう。座薬は、1日4回まで。それを目指す。4回×6時間=24でぴったしなのだが、一回6時間持たないのが現状。それで切れかかってくると悪寒、発熱と続くのだ。
Y先生自ら点滴の針を。10時から抗がん剤の投与開始。
5FU、シスプラチン、
午後、吐き気なく、夕食もほぼ完食。
4日間連続左手はしんどい。明日打ち直しましょうか?2日目の朝、右手にしていた点滴を左手に変えたいと申し出る。まさか、4日間ぶっ通しだとは思わなかった。それなら左手に決まってる。
病室で目を覚ますと、一瞬、ここはどこだ? とわからなかった。病院であるということに気が付くまでかなりの時間が必要だった。
8月21日(水曜日)
フライイング気味の座薬挿入で、6時間経過する前に入れていったら、悪寒も発熱もなかった。しかも、朝飯も完食。抗がん剤の副作用、吐き気など今のところまったくない。まさか、天然ミネラル原液のせい?
早朝目を覚まし、点滴を刺した針の周りが内出血して晴れている。慌てて起き上がる。ナースコールを探していると、内出血は夢だったようだ。
汗びっしょり、2度、Tシャツを取り換える。
そこから、熱はないが、腰がそうとうに痛む。
どうしんだろう、座薬は効いていなけりゃいけない時間なのだが。
若い研修医が点滴の針を変えに来る、ところが2度失敗。「もう一回だけやらせてください」。「じゃあこれが最後だね」と、言えばかっこよかったのだろうが、この人は3回目も失敗するという気がして仕方なかった。「もう練習はしたでしょう、ごめんね。誰かと変わってください。」と言ってしまった。腰が物凄く痛いときだった。
Y先生がやって来て、また右手に打った。え?Y先生、点滴の針を刺しなおす。完璧、これで残り3日は大丈夫じゃないか。
ここの病院は、医師も若いが(30代が中心で40前後がピークか)、看護師も若い(看護専門学校を出て、21〜23。ともかくほとんどが20代で30前後がピークか)。大学病院だからだろうか。経験を積ませるためもあるだろうし、働き盛りという側面もあるだろうし、救急窓口なんか、体力だけは自信ありますというタイプが多いような気もする。
・副作用、ほぼ、なし。
・朝食、ほぼ完食
・昼食、ほぼ完食
・しゃっくり、これが副作用? と笑い合う。
気分がよく、各階にある見晴らしのいいラウンジでコーヒーとサンドイッチを食べる。生憎の曇りだが、いかにも集中豪雨が来そうだと思ったら、良いタイミングで、まるで映画のように、集中豪雨が降り出す。こういうラウンジがあるのも順天堂らしい。ほとんど病院の感じがしない。人気があるようで、患者さんを面会する人が穏やかに話している。私は病気が病気なので、面会はナシだ。会話が続かないし、お互い疲労困憊するだけだ。
私のお気に入りのS看護師が点滴を取り換えに来る。ミヤちゃんはコーヒーの自動販売機。「良いタイミングで降ってくれたなあ。雨が好きなんだよねえ」とS看護師に言うと、「私もです!」と、いつもの笑顔で答える。ちょっと照れくさくなって、「雨が好き」っていう小説が昔あったんだよね」と、言った。
ミヤちゃんがコーヒーを持って戻って来る。「何も雨の日に遠足に行きたいわけじゃなくてね。外の雨を家や部屋から眺めるのって気分落ち着くよね」「私もそうなんです。気が合いますねえ!」と、女房の前で、大声で言う。屈託のかけらもない爽やかな笑顔で。
夜は看護師が交代。座薬を6時間おき
8月22日(木曜日)
看護師に、15時頃、髪を洗ってもらう。さっぱりし、気分爽快。ただ、その直後、大変なことが起きたようだが、私には記憶がない。
ひきつけを起こしたようだ。私に記憶があるのは。ストレッチャーで運ばれ、医師や看護師たちが私の名前をしきりに呼んでいる。私はと言えば、何を騒いでるんだろうくらいのことなのである。CT、MRI検査に運ばれたのだろうか。その騒ぎの中で、一つだけ記憶がある。
「ここ順天堂ですよ。分かりますか?」と、しきりに訊かれ、順天堂…そりゃあ、知ってるよ…と、記憶が蘇り、「ああ、俺、ガンになって順天堂に入院してたんだ」と、ストレッチャーの上で思い出して、急に悲しくなって涙が出て来たのだった。
その後も、16時頃、再びケイレンを起こしたらしい。私はまったく覚えていない。それで、尿管、心電図、ケイレン止めの点滴など、私の体は完全にスパゲティ状態にされてしまったようだ。その状態のまま、ひきつけの原因究明のために、MRI、脳波の検査を受けるが、特に異常なしのようだ。
8月23日(金曜日)
MRI
8月24日(土曜日)
脳波
8月25日(日曜日)
ミヤちゃんに、フィレオフィッシュを何故か所望。ミスタードーナッツも。普段は食べようとはあまり思わないものだが、病院食がまったく受け付けないのだ。姉が送って来たというマスカット、ミヤちゃんが買って来たカットメロンなどとともに、ラウンジで食べる。
夜、BS日テレから、突如、「坊がつる讃歌」が流れる。懐かしく、聞き入ってしまう。あまりに懐かしく、涙が零れる。一番素朴だった時代、一番屈託のなかった時代、70年安保などという時代に遭遇していなければ、体育会系で、山登りが趣味でみたいな人生を送っていて、こんな病気になんかならなかったかもしれないと思う。
唐突だが、音楽葬とし、この「坊がつる讃歌」を流すというのはどうだろう。
なんかいいなあ。こういう歌に包まれて眠るように逝けたらいいなあ。
1 人みな花に 酔うときも
残雪恋し 山に入り
涙を流す 山男
雪解(ゆきげ)の水に 春を知る
2 ミヤマキリシマ 咲き誇り
山くれないに 大船(たいせん)の
峰を仰ぎて 山男
花の情を 知る者ぞ
3 四面山なる 坊がつる
夏はキャンプの 火を囲み
夜空を仰ぐ 山男
無我を悟るは この時ぞ
4 出湯の窓に 夜霧来て
せせらぎに寝る 山宿に
一夜を憩う 山男
星を仰ぎて 明日を待つ
(作詞 神尾正明 松本征夫)
8月26日(月曜日)
午前3時、目を覚ます。座薬を所望するが、まだ早いとのこと。4時半になれば6時間経過とのこと。5時に座薬入れて貰う。
「坊がつる讃歌」
ハーゲンダッツ。
8月27日(火曜日)
ホスピスをどこにするかをそろそろ決めておかなければならない。第一候補は、荻窪の東京衛生病院だが…。そこへ入るまで、順天堂にいるわけにもいかなさそうなので、訪問ケアの小平クリニックにお世話になるしかないだろう。順天堂の看護相談窓口で女房と相談。とりあえず、お任せしておくしかないだろう。
順天堂の食事が相変わらず受け付けない。いつも同じ匂い、同じ味。まったく受け付けない。朝は、院内のレストランから、助手の人に粥を持って来てもらった。想像していた以上にクリーミーで、食道にまったく違和感も感じなかった。
昼は、ミヤちゃんが自宅近くの商店街のコロッケ専門店からコロッケを買って来てくれた。やはりうまい。6Fラウンジで、ドトールのサラダドッグと一緒に食べる。美味い。夜は、ミヤちゃんが家で作って来たシャケ寿司。コロッケの残り。ミヤちゃんは順天堂の食事。金目の煮つけを少し食べていた。
夕食後、19時過ぎにミヤちゃんが帰宅すると、疲れて爆睡。21時頃に目覚める。腰、背中が痛い。座薬を所望。ところが、痛くて苦しくて…呼吸が苦しくなる。ウツ病になりかけた時と同じ症状だ。窓を開けてもらうが、治らない。酸素は100%入っているらしい。
ミヤちゃんに電話したりしたが…しばらくしたら、座薬が効いてきたのか、息苦しさも治まって来た。やはり、痛みなのだ。痛みを事前に抑えておく必要がある。我慢したらダメのようだ。
8月28日(水曜日)
早朝、3時半に目覚める。4時頃、座薬を入れてもらう。
5時頃、温かいおしぼりを5,6個持って来て貰う。背中を拭いてもらい、あとは自分で体中を拭く。Tシャツ、パンツなど着替え、さっぱりする。
病室を見渡す。順天堂はつくづく病院の感じがしない。下手なビジネスホテルよりはるかに素晴らしい。薬の匂いも廊下を含めてまったくしない。看護師も医師も若い人しか見ないが、医療的水準はよく分からないが、設備その他は本当に一流ホテルに近いかも。他にこんな病院、私はあまり知らない。
朝は、バナナと牛乳。
昼は、ミヤちゃんにケンタッキーのコールスローを所望。もちろん、フライドチキンとパンも。6Fラウンジで二人で食べる。美味しかった。
夜は、ミヤちゃんにメロカマの照り焼きをクイーンズで買って来て貰ってた。温泉卵も。院内レストランからお粥セットを注文。
座薬が切れる時間。少し熱っぽい。布団をかぶり、ベッドに横になる。ミヤちゃんの古い友人Mさんが見舞に来たようだ。夕食時と重なる。一人でお粥セットとメロカマ照り焼きで夕飯。
今回のような目にあって、初めて分かったことがある。こんな状態の時に誰かに見舞われることほど有難迷惑な話はない。善意は分かる。しかし、誰かを見舞うなんて、見舞う側の自己満足が大きいんだということが今回よく分かった。だから知らせた人には見舞いは断っているし、さほど親しくない人には一切知らせていない。
食事が終わった後、Y先先、三度部屋へ。明日から東北の学会へ出張とか。今後の基本方針をみっちり話し込む。座薬、麻薬、ステロイドでの痛みや熱のコントロール。退院後の訪問診療体制をどうするか。ホスピスへの予約、申込みをどうするか。食道狭窄を避けるためには、放射線より、ステントを埋め込む方針で決定。
とりあえず、今週いっぱいは入院ということになりそうである。
8月29日(木曜日)
早朝、5時、6時頃目覚めるが、気分は悪くない。24時間、身体の痛みと熱を座薬で抑えてるわけで…疲れているのだろう、ともかく睡眠はちゃんととれている。
朝、温泉卵とパン。明日から、朝、御飯、昼、パン、夜御飯にかえてくれますかと所望したところ、今日の昼からパン(サンドイッチ)に変わった。
昼過ぎ、ミヤちゃんも、私の所望通り、各種パンを買って来る。
ミヤちゃんに髪を洗ってもらう。
昼は、2Fのレストランへ。
ざるそば。ハヤシオムライス。組み合わせがヘンなのは分かっているが、半分ずつ食べる。両方ともイマイチ。6Fのバルコニーラウンジで、お口直し。ハーゲンダッツのバニラアイスとコーヒー。ここに入院している限り、酒、煙草は厳禁なわけだが、ハーゲンダッツのバニラアイスがこんなにうまく感じたことはこれまでの人生の中でない。
看護相談のKさん、午後四時に病室へ。自宅近くにある滝山クリニックへ、訪問医療について、問い合わせをしてくれている。
18時、座薬が6時間持たず、麻薬のオプソという頓服を試してみる。ベッドに眠る。ミヤちゃん、帰る。
二時間くらい眠ったが、頓服効かず、身体が痛い。20時半、座薬挿入。結局、麻薬で効くのにまだ当たってない。
8月30日(金曜日)
深夜、1時半。座薬が切れかかり、身体が痛い。まだ6時間経っていない。今一度、オプソを試してみる。あまり効かない。さらに別の麻薬をドクターに処方してくれるよう、担当看護師に頼んでおく。
3時を過ぎたので、座薬を挿入してもらう。ベッドでウトウトしながら…5時半。
この闘病記、住所録の整理、プロフィールと作品歴、これだけ整理することくらい簡単なはずなのだが…この無力感は何なのだろう。何もする気が起きない。座薬で身体の痛みに耐え、ベッドでウトウトし、何となく三回の食事をするだけで、一日が終わる。
人間は、誰もが死刑囚として生まれて来る。だがそれを自覚しないで死んでいけるのなら、それは幸せなのかもしれない。それを自覚するには、死刑判決を受ける身になるか、末期ガンの宣告を受けるか、その二つしかない。
売店にあった四種類のチーズのクリームリゾットが気になり、売店に置いてあるレンジで調理。6Fのバルコニーラウンジで食べようかと持って行くと、そこにNHKのSプロデューサーがいた。そこへミヤちゃんが出くわす。
すべてを聞いたSプロデューサー、リアクションに困っている様子。当然だろう。こんな話を聞かされたら、誰だってリアクションに困る。来週の火曜日。午前10時、2Fレストランに、ドラマ部長とIディレクターが来ることになっているとうが、さてどうしたものか…。
8月31日(土曜日)
ボルタレンという座薬を一日4回まで。つまり、6時間置き。6時間持たせる。一日24時間が、それだけで過ぎて行く感じでもある。切れかかると、体調も気分も最悪だし、効いている二、三時間は、気分は絶好調なのである。
つい我慢しがちになるが、Y医師も「4回までは大丈夫ですから、6時間経ったら我慢せず使ってください」と言っているので、我慢しないほうがやはりいいのだ。
姉が九州から送ってくれたマスカットをS看護師に渡す。これから休憩に入るので、ちょうどよかったと喜んでいた。患者さんからひまわりの折り紙を作ってもらったり、この子は本当にいつも明るくて気持ちがいい。
12時45分、ミヤちゃんから電話。練馬高野台の駅から、何か欲しいものは? とりあえず、病室に来たら?
昼は、2Fレストランで、和風キノコパスタ。ミヤちゃんはザルそば。どちらも、イマイチ。いや、和風キノコパスタは落第点。私はバター醤油味をイメージしていた。
お互い、二口、三口しか口にせず、レストランを出る。6Fのバルコニーラウンジでお口直し。滝山商店街のコロッケ専門店で、ナスとピーマンのピリ辛炒めと、ホタテ風味フライ卵パンを買って来ていたので、美味しいコーヒーでお口直しをしたい。駅近くのミスタードーナッツのコーヒーが上手いかもと、ミヤちゃんに買って来て貰う。正解。
夕飯は、ナスとピーマンのピリ辛炒め。温泉卵。
座薬が効くのはわずか2時間。挿入後2時間くらいして効き始め、絶好調の2時間が過ぎれば、あとは痛みに耐える。つまり4時間は痛みに耐えているというわけだ。
9月1日(日曜日)
午前10時、Sさんの予約で洗髪。入院以来の髭剃りをする。電気シェーバーだとキリがなくなりそうなので、ホテルのアメニティグッズの髭剃りを使う。大量の無精ひげも、一発だ。
午後1時過ぎ、Yさんが見舞に来てくれる。6Fのバルコニーラウンジ。売店で、アイスコーヒーとハーゲンダッツのアイスクリームを買って来る。90分くらい話したろうか。
病室に戻り、しばらくすると、Sさんが「疲れた」と、ふらっと現れる。椅子に座って休憩していく。ミヤちゃんに癒されたかったのではと思う。ガーナミルクチョコレートを嬉しそうに食べて、「決してサボリに来たわではありませんから」と、病室を出て行った。
夜は、ミヤちゃんが石神井公園駅のクイーンズで買って来てくれた幕ノ内弁当(メロの味噌漬け)とマカロニサラダを完食する。
明日は、Y先生が東北出張から戻って来る。退院、その後の方針などを決めて貰わなければ…。
9月2日(月曜日)
5時30分、座薬。
7時、血液検査。
暖かいタオルで全身を拭く。
午前10時、Y先生、病室へ。
オプソに変わる麻薬系の痛み止め。オキシコンチン錠とオキノーム散。
「それらを試すために、あと二日くらいは退院を引き延ばして欲しい。」と。
食道ステント手術、東京衛生病院のホスピスへの申し込みなど、ほぼ方針固まり、ほっとする。
午後、ミヤちゃん、クイーンズで自分の散らし、私のカレーパンやフランスサンドイッチなど買って来てくれたので、6Fバルコニーラウンジで昼食。
夕方、座薬が切れかかり、寒気がする。布団をかぶり、耐える。
オキノーム散、オキシコンチン錠を飲んでいたからか、一時間くらいで楽になる。オプソよりは効目があるかも。
9月3日(火曜日)
午前10時、NHKのI氏、W氏、S氏と、2Fレストランで12時近くまで話す。座薬の時間だが、普通に歩いていても痛みがない。オキシコンチン錠の効目か。
入院、17日目。食事がどうにもならず、駅周辺の散歩に出かけたくなり、外出許可を申し出る。念のために、座薬を入れて置く。
13時過ぎに、ミヤちゃんと二人で、ドトールのサンド、オリジン弁当、イトーヨーカドーの惣菜や弁当など見て回る。ほとんど食指動かない。食欲も昨日からない。オキシコンチン錠の副作用なのかもしれない。
Kさんから電話。練馬高野台駅からだという。オリジンで待ち合わせ。6Fバルコニーラウンジで、Kさんとミヤちゃんと私。ミヤちゃんに四種類のチーズのリゾット。
Kさんを駅まで送って行く。駅公園で、煙草と缶ビール。17日振りだ。何とも言えぬ解放感。Kさん、荻窪の東京衛生医病院とは、浅からぬ縁があるらしい。中学がここの宗教法人の学校だったらしい。奇遇な巡り合わせだ。
夕方、Y先生が病室へ。オキシコンチンでうまくいきそう。明日、退院の手続きを進めていくことに。オキシコンチンがうまくいきそうなら、座薬のボルタレンは、8時間置き、12時間置きでも、とY先生。
病院食に温泉卵で食べている。生卵は厳禁だそうな。
午後9時にオキシコンチン錠。座薬のボルタレンは12時あたりだが、様子を見ながら、看護師のNさんと話す。
夜10時TVドラマ。大人の恋愛、危険な香り、だと。二十年近く前、東海の帯ドラマで私が書いた設定、ストーリーとほとんど変わらない。まあ、エディプスコンプレックスの話と言えば、それまでだが。
9月4日(水曜日)
昨夜、23時からWBSを見ながら就寝。午前3時半に目を覚ます。このところこの時間帯に眠ることが多くなった。しかし、睡眠時間は3、4時間ということになる。あとは、いつもウトウトしている。座薬は9時間半を経過している。ナースコールをし、Nさんにボルタレン挿入してもらう。8時間持てば、座薬は一日3回で済む。一日、2回で済ませられることなんて本当にあるのだろうか。いずれにせよ、オキシコンチン錠があると、かなり楽になるような気配。
朝食までのあいだ、またウトウトするか…。
午前9時頃、Y先生、病室へ。退院の手続き。退院後の心得、痛み止め(麻薬も含め)などの話をする。そして、懸案事項。東京衛生病院のホスピスへの入所申込みの時点で、食道ステントをどうするか。衛生病院は、入所後は一切治療行為をしないとして申し込まなければならないらしい。今、食事に困るほど、食道に違和感があるわけではない。が、いずれ食道狭窄は避けられないかもしれないので、予め食道ステントをやっておくか? Y先生、は、私の場合、このまま食道狭窄は起きない可能性もあるかもしれないという。
だったら、ともかく、入所申込みの時点で、今後も食道ステントはするつもりはないとして申し込んだらどうかと。もし、入所後、食道狭窄が起きそうになったら、その時、退院。再び入所手続きをすればいいのでは、との方針でいくことに決定する。
看護相談室のKさんが、訪問医療の滝山クリニック、東京衛生病院のホスピスへの入所手続きなどの代行してくれることになっている。
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午後4時頃に順天堂練馬を退院する。17日も入院していたようだ。タクシーで小平の自宅マンションへ。着くなり、8度6分の熱。ここしばらく発熱はなかったのに、どういうことか。ミヤちゃんに座薬を入れてもらい、二時間近く爆睡。起きてもまだ8度4分。しかし、座薬が効いてきたのか、少し体は楽になる。
夕飯は、ブリの照り焼きに大根おろし。切干大根。豆腐とミョウガの味噌汁。久しぶりの炊き立てご飯にヤマザキのヌカズケ。御飯一善で、完食。
食道ガンの末期で、鎖骨リンパ節と縦隔リンパ節、胸腰椎と左腸骨に転移しているというのに、食道自体の閉塞は未だなく、普通に食事が出来るというのが、何とも、不幸中の幸いというのか、私にしてみれば、とても有難い。
夜中、雷鳴轟き、豪雨。
23時30分、ミヤちゃんに座薬を入れてもらい、就寝。
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