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第4章

 

89日(金曜日)

 

いよいよ審判の日だ。学校が845分に終了。笹塚駅のブティックにミヤちゃんに似合いそうな夏のブラウスを見つける。婦人服店の中に一人で入って行き、内緒で買ったのは初めて。ガンにならなければこういうことは一生しなかったかもしれない。

 

順天堂予約は13時なので、池袋で映画を観る。『終戦のエンペラー』。「こんな時に…」と、ミヤちゃんは言っていたが、最後の映画鑑賞になるかもしれないのだ。池袋駅の雑踏を何とか歩き切り、サンシャインシネマまで行く。

 

マッカーサーが日本上陸後、最初に取り掛かったのが天皇に責任があるやなしや。ワシントンは処刑しなければ収まらない雰囲気らしい。その調査を米将校に任せます。その米将校は開戦前に日本女性の留学生と恋に落ちており、親日派。しかし、天皇に責任がない証拠がどうしても見つからない。処刑すべし、と一旦は決意するのだが…。

マッカーサーが天皇と面会するシーンがクライマックス。天皇が口を開く。「すべての責任は自分にある」と。そこで不覚にも涙が零れてしまう。泣くようなシーンではないような気もして、周りを見渡したら、やはり涙をぬぐっている人がいた。

天皇に対する日本人の心情をうまく描いているとは思ったが、あとで冷静に考えると…アメリカ的な偽善の匂いがしないでもない。

アメリカ批判はほとんどなく、ただ、近衛文麿に「欧州、アメリカを私たちは見習っただけだ」と言わせたのが精いっぱいのようである。それでも戦後の左翼思想からは少し進歩しているか…。

 

 

  映画を観終わって、また池袋駅の雑踏を歩く気がしなく、タクシーで西武池袋線の椎名町へ。運転手が道を間違えたので、練馬高野台の順天堂練馬に着いたのは135分前だった。とっくにミヤちゃんは来ていて、私を睨んだ。

 

  W医師の診察室に午後一番で通された。

 

  原発は、ほぼ前立腺ガンだと思っていたが…食道ガンだった!

 

 胃カメラの映像を見せられたがかなり大きい。

 

「食道ガンが骨にまで転移しているんですか?」「ええ、リンパ節に転移しているということは、どこにでも転移の可能性があるということですから」

 

  初めて骨への転移を告げられた時は、決定ではないですからと一応留保付きだったからだろうか、今回のほうがショックが大きかった。もう逃げ道はどこにもない。

 

 「私からはここまでです。あとは、私のひとつ後輩の内科医ですが、詳しい説明と今後の治療についてはご相談ください」

と、言った時、W医師が涙を浮かべている。ガン患者の前で涙浮かべちゃいかんだろ、と思ったが、「お世話になりました」と言った途端、こっちも涙を流してしまった。

 

内科医は女医だった。女にしては大声で機関銃のように喋る。最初はちょっと引いたが、こっちのさまざまな質問には簡潔明瞭に、とても長い時間をかけて答えてくれた。私も女房も、疑問を挟むところはまったくなかった。かなり優秀な女医だと思った。その女医はメモをして説明してくれた。

 

中部食道がん(扁平上皮質)。

 

これがほぼ原発でしょうということだった。胃カメラの映像では、かなり大きな腫瘍を何度も見せられた。今でも目について離れない。

 

鎖骨リンパ節 転移

縦隔リンパ節 転移

胸腰椎 転移

左腸骨 転移

 

  CT造影剤で分かっただけでもこれだけの転移だそうだ。「ステージ4のB」だという。4Aと4Bの説明もしてくれたが、頭が真っ白になっていたのか、その違いは覚えてないが、ともかく最高ランク、いや最悪ランクの進行度に違いはないのである。

 

来週、「PET(ペット)」という全身ガンマーカーのような検査をするが、他にも転移している可能性がないとは言えないらしい。

 

  当然ながら、手術は不可能。治療法としては通常、化学療法(抗がん剤)と放射線の併用ということになるという。当然のような言い方だったので、ガンについて何も勉強していないほとんどの人は、言われるがままこの治療をするのではないかと思った。

 

「あの、その抗がん剤をしたらどうなるんですか?」「根治は望めませんが、うまくいけば、二三か月、半年はガンの進行を遅らせることが出来ると思います。ただし、その効果が期待できるのは四割くらいの人ですが」

 

 冗談じゃないと思った。抗がん剤は未だに強烈な副作用を伴う。前に書いたが、抗がん剤の副作用で衰弱が早まった人はいても、でガンが治ったという実績はほとんどない。しかも、効果が期待できるのが、わずか四割で、うまくいって進行を半年遅らせるだけ。そのために一か月余、副作用の吐き気、倦怠感、(中には生爪がはがれた人もいる)そんな治療なんかするもんか。

 

  ただ、このまま放置すれば、腫瘍が大きくなり、食道閉鎖を起こす。食事も水も飲めなくなるという。放射線で腫瘍を焼き切れば、とりあえず食道の腫瘍はなくなるし、腰に当てれば、痛みが緩和される可能性は大きいという。

 

「分かりました。放射線だけはやりますが、抗がん剤はやる気がありません」と、きっぱりと言う。すると、優秀な女医の口調が少し変わった。

「それも選択のひとつだと思います」と。それは明らかに、抗がん剤治療の無益さを知っている口調だった。

 

  なかにし礼で話題になった陽子線のことを訊いてみる。私は専門ではないので…ただ、陽子線は基本的に根治を目的にする治療で、転移しているガンには有効ではないような気がしますが…話を訊くだけなら訊けるかもしれませんし、一応予約だけはとっておきましょうかと、ガンセンターに予約を入れてくれた。

 

  ただ、早く放射線を当てないと、という問題がある。結局来週から放射線治療を始めることにした。食道の腫瘍は大きいので、少しづつ当てる必要があり、毎日で6週間続けなければならないという。ただ放射線に関しては、基本的に大きな副作用はない。それがうまくいけば、数か月元気でいられる期間が出来る可能性があるらしい。来週から放射線治療を受けることにした。

 

  院内のレストランはまだ開いていたが、ミヤちゃんは鱧の天ぷらそばが食べたいという。隣駅の石神井公園駅へ。稲田屋で鱧の天ぷらそばと私は半セイロそばと天丼のセットにする。昼は、痛み止めを飲むためにおにぎり一個食べただけだった。天丼、ここで初めて食べたが、なかなか美味しかった。

 

 

 二人とも帰宅し、放心状態・・・・・。検査日を知っていた姉からミヤちゃんに着信が昼過ぎに来ていたようだ。心配かけてしまったが、今は、説明するのも面倒くさい、というか、絶望を報告するのはどっちにしろ気が重い。しかし、報告しないわけにもいかないだろう。

 

  当面の優先課題は、姉への報告と、私の非常勤嘱託への代わりの手配だ。先輩のIさんにメール。食道ガンだったこと、とりあえず来週の交代要員の手配をお願いする。いつものことだが、なかなか返事が返って来ないので、同期のKさんに電話。留守電にご相談した旨を入れて置く。

 

  疲れ果て、ベッドに横たわるミヤちゃんの傍らに、私も仰向けに横たわる。傍でミヤちゃんが何事か喋っている。その声が、私には小鳥のさえずりのように聞こえる。こうやっていつも彼女に包まれてきたように思う。

 

その声を聴きながら、本当に可愛い声だなあと思うと涙があふれ出した。私は彼女の声に包まれて死んで行けるが、彼女は私の声に包まれて死んでいくわけにはいかない。結局、私は最後まで彼女に包まれていて…私は幸せだったが…。

 

「ごめんね、ミヤちゃん」 

「そうだよ…! でも大丈夫。おひとり様≠フ本をたくさん読んでるから」

うん…本当に…ごめんな…。

 

 

 

810日(土曜日)

 

 非常勤嘱託の先輩Iさんへ、「ステージ4です。復帰は無理かもしれません」と、少しづつ本当のことをメールした。午前中に電話が入る。昨夜遅くにKさんから電話があり詳しい事情をすべて話した。私に協力できることならやりますので、と言ってくれた旨もIさんに伝える。

 

「分かりました。手配のことはこっちでやりますから中園さんは何も心配しなくていいです。ただ、月曜日に副校長、いなければ、事務主事か誰かにその旨伝えてください。ガンについてどこまで話すかは中園さんのご判断にお任せしますが、復帰不可能とかは今は言わないでもいいかと思います」とのことだった。

 

  午後、Kさんから電話。元気な声なので安心しました」と、彼は若い頃、橋本忍さんとご一緒したことがありますとメールにあったので、橋本忍は私にとっては神様みたいな人ですよ、と驚いてメールを返していた。何をしていたんですかと、聞くと、企画会社にいて「砂の器」「八甲田山」などに関わったらしい。その後は建設関係の仕事をしていたらしいが、非常勤嘱託で同期になるなんて、奇遇だ。

 

昨年、肺がんのごく初期で手術をしたとのこと。肺がんの初期なんて健康診断では発見できないでしょうと言うと、レントゲンで影のようなものが見つかり、弟がレントゲン技師で精密検査を受けた。その陰は何でもない影だったが、その精密検査でほんのごく初期の肺がんが見つかったのらしい。

 

「実は父親も兄貴も肺がんで失くしているので…神経質になっていたんです」とのことだった。しかしラッキーでしたね。ええ、だから中園さんのことも他人事とは思えなくて。「でも、元気な声を聴いて安心しました」「ええ、ご心配かけましたが、精神的には大丈夫ですから」と言って電話を切って、その後、メール。

 

「僕は人間が出来ていないから、これまであくせくカリカリ、もがきあがきながら生きてきました。それから解放されるかと思うと、今は本当に明鏡止水の心境なんです」と。

 

「明鏡止水、いい言葉ですねえ。そんなふうに穏やかに生きていきたいですねえ。僕の人生は無駄と後悔ばかりの人生でした」との意外な返信。付き合いは浅かったが、ストイックで真面目で前向きな、という勝手な印象を持っていた。

 

「Kさんから無駄と後悔の人生≠ニは意外でした。みんなそうなのかもしれませんねえ…さらに明鏡止水になりました」と、返した。

 

 

午後、ミヤちゃんの妹と弟が新居に初めて来る。毎年、お盆には、彼女の実家近くの鰻屋さんの「稲毛屋」で食事をするのを恒例としていたが、今年は見送っていた。しかし、昨日検査結果が出て、来週から放射線治療が始まるので、その前に新居に招いて、鰻をテイクアウトしてもらい最後の晩餐≠することにした。

義弟は来年の10月には定年。実家に住んでいる。実家は、来年借地権の更新を向かえるが、家の改修も必要になっているらしい。更新を機に改修しそのまま実家に暮らすか、中古マンションでも買うか、弟に判断を訊くが、弟は判断保留のまま。

 

ミヤちゃんが花小金井まで迎えに行って、タクシーで三人が戻ってくるはずだったが、ミヤちゃんと義妹、二人だけで現れた。鰻を持ってくるのを忘れたらしい。義弟は訊いていなかったと、花小金井から千駄木に取りに帰ったという。

 

鰻を取りに戻った義弟を私はタクシーで迎えに行った。一目見た時、なんだか普通じゃない。身体が傾いた感じで歩いている。なんとなく心配である。

 

稲田屋の鰻は美味しかった。ここは焼き鳥も美味しい。義妹が義弟に、「更新はどうするの?」さりげなく切り出した。「するよ」と、義弟。ということは、改修もして、実家に住むということなのか。「ミヤちゃんが中古マンションでも買ったほうがよくない?」と言うが、返事はない。それ以上追及しないのがこの姉弟のありようなのだ。

最初、私は違和感があったが、もう慣れてしまっていた。ミヤちゃんが私の実家に初めて来た時、私と母親と姉の話を聞いていて、「喧嘩してるのかと思った」と言ったことがあるが、九州の田舎の私の家族は、何でもズケズケ言うし、親子兄弟の距離感なんてないに等しい、兄弟でも姉や兄に向って、おい、お前と言うことすらあるのだ。

姉妹同士、あるいは親が子供にも名前を「さん」付けで呼ぶ、ミヤちゃんの姉妹とは家族の文化が違い過ぎるのだ。ミヤちゃんはそんな家族の文化の違いをとても面白がってくれ、オフクロもミヤちゃんの穏やかな佇まいが心地よかったらしく、実家に戻った時、喋りたがりのオフクロは、聞き上手なミヤちゃんを離さなかった。

(そういえば、ミヤちゃんが友人と長電話をしていると、あまり静かなので終わってるのかとみると、ミヤちゃんは小さな声で、「うん…うん…そう…」と頷いているだけで、向こうが一方的に話している様子で、苦笑したことがある。)

 

私が義弟を見ると、デザートのあんみつのパッケージを開けるのに、さっきからずっと苦労している。見かねて、開けてやるが、やはりどうも様子がおかしい。口を開けて、スプーンから掬ったものを入れるのに、スローモーションを見ているように動作が遅い。そして、言葉を出すまでに時間がかかり、呂律も怪しい。それは、脳梗塞から帰還した人の動きと全く同じように思える。

 

「なんか動きがおかしくない?」と、私が口火を切った。すると、ミヤちゃんがすぐに参戦してきた。「そうそう、言葉がすぐに出て来ないじゃない」すると、本人は「うん、言葉はすぐに出て来ない、その自覚はあるけど…え?そんなにヘンですか?」と言う。「駅で会った時、酒を飲んでるのかと思ったんだけど」「飲んでませんよ、そんなにおかしいですか?」「おかしいよ、いつからなの?」と、ミヤちゃん。

 

実は、義弟は半年前に家の階段から足を滑らせ、肩を骨折、4、5日入院していた。その時、頭も打ったという。私とミヤちゃんが会ったのは、それより前の正月。その時とは、明らかに違っていた。

 

「頭を打った? その時、MRIとか受けた?」「ええ、異常はなかったです」「脳のMRIを受けたの?」「MRI…レントゲンは受けましたが」「異常なかったよね」と、義妹。「いや、MRIって言ってるの、レントゲンじゃなくて、MRIは受けたの?」

 

受けてないという。実は私も乾燥機で頭を打って、ついでに脳のMRIを受けた。すると、50歳を過ぎると、小さな梗塞は誰にでも見つかるらしいが、私のはかなり大きな梗塞が出来ていた。場所がよかったから何の影響もなかったが、それ以来、最初はバイアスリン、途中からブラビックスという血栓を防ぐ薬、つまり血液をサラサラにする薬を長い間飲んでいる。

 

「職場で何か言われなかったの?」と、ミヤちゃんが続ける。「そういえば…上司に言われたことがある」「なんて?」と、私とミヤちゃん。「言葉がすぐに出て来ないんじゃないかって。でも歳をとると誰でもそうなるからなあ」と。

 

しかし、そういう度忘れとは明らかに違うのだ。義妹は、若年性アルツハイマーじゃないかと言ったが、アルツハイマーというより、脳梗塞のような気がして仕方がない。倒れたり、どこかがマヒしたりしているわけではないので、今だったら、後遺症の心配もなく直せるのではないか。

 

「月曜日、朝一番で病院に行きなさい。お盆休みでしょ」と、ミヤちゃんが言った。「そんなにおかしいですか?」と、本人。「おかしい。明らかにおかしい」と、私はきっぱり何度も言った。「絶対行かなきゃだめだからね」と、ミヤちゃんは何度も何度も念を押していた。

私の食道がん末期ステージ4Bの話など、ふっとんでしまって、そのまま義妹と義弟は帰って行った。

「これで弟までそうなったら、私面倒見きれないわよ」とミヤちゃん。

「大丈夫だよ、倒れたわけじゃないから、今なら、完治するよ」と、私は言った。

 

 

 

811日(日曜日)

 

  猛暑、酷暑、東京は38度だったようだ。朝から、二人とも、さすがに一歩も外へ出なかった。私は、この日記、ミヤちゃんは本棚の整理。

 

午後、福岡のタカッくんからメール。BS日テレで『霧の旗』の再放送があっているという。市川海老蔵のテレビドラマ初主演だった。松本清張100周年で3本書いたが、私としてはNHKの『顔』と、この『霧の旗』はそれなりに気に入っているが、映画『ゼロの焦点』は、納得のいくものではなかった。

 

監督とは松本清張作品への想いが違った。実は途中、降りないでくださいと東宝のHプロデューサーから言われた。監督との連名になるが、今後のためにも降りないでください、と。Hプロデューサーはデビュー以来からの20数年来世話になってきた戦友であり、決裂したくはなかった。たしかに、今までも、そういう妥協を受け入れ何本もの仕事をやってきていた。それは言わば身過ぎ世過ぎの妥協だったんだと思う。しかし、それが日本アカデミーの優秀脚本賞である。釈然としない思いを身をもって知った。

 

夕飯は、シャケ半切れ、肉じゃがの残り、おしんこ、大根と人参の味噌汁。今は、こういう食事が何よりも美味い。

 

 

 

812日(月曜日)

 

  早朝、目が覚める。いつものように5時前後かと思ったら、2時半。腰が痛くて仕方ない。寝る前に飲んだからまだ1時間半しかたっていない。我慢してそのまま寝る。5時に再び目が覚める。トイレに行くが、腰の痛みが激しい。スイカを少し食べ、痛み止めの錠剤を飲む。ところが痛くて寝付けない。錠剤が効かなくなったのか。座薬を入れたいが、併用はダメといわれているので、我慢して、3時間くらい唸っていた。熱が8度5分もある。

 

8時前に順天堂へ電話を入れる。救急窓口で、座薬を入れてもいいという許可。併用するとどういうことが起きるんですか?と聞くと、血圧が低下する場合がある。あと胃を傷めるなどの回答。ともかく、座薬を入れる。ほんの少しでだいぶ楽になる。

 

  体調が悪い時に、やっぱりパンとコーヒーという気にはならず、お粥を食べる。しかし、座薬もほんの2,3時間しか効かず、(もう少し効いていたような気がするが)、また痛み出す。座薬入れ6時間が経過して、また錠剤を飲む。座薬は一日二回まで。8時間空けるといわれているが、2時間のフライイング。

痛み止めが効かなくなったということは、症状が進んだ時と言われた。6週間の放射線治療の間に、さらに酷くならないのだろうか、はなはだ不安。せめて放射線治療がうまくいき、元気な数か月を確保したいのだが…。

 

夕方、友人のTにメールする。時間の余裕を持って電話が欲しいと。驚いていた。Tは大学の同窓、同じクラスで、演劇部関係以外では唯一の今でも付き合っている友人。この日記が、出版不可能だったら、ホームページを立ち上げて欲しい旨を伝える。

 

痛み止めの錠剤が効かず、熱が88分。順天堂に電話する、「消化器内科のY先生はいらっしゃいますか。」「予約ありますか?」「ありません。」「では救急外来の看護師に繋ぎます。」「私はガンの末期で痛み止めが効かないんで困っています」、というと、すぐにY先生が出てくれた。

相変わらず、早口だが、話はとても分かりやすい。炎症が進んでるんでしょうか。一日二日でそんなに進むことはありません。風邪の症状はありませんか。ありません。座薬を入れてください。でも座薬は一日二回が限度なんですよね、三回使ってもいいです。さっそく座薬を入れる。

 

夕食の買い物には行けず。炎天下、ミヤちゃん一人で行く。しかし、商店街は月曜で休み。二人ともまた気が付かなかった。

 

夕飯は、牛肉セロリ炒め、ミヤちゃんの好物だし数少ない得意料理。それに切干大根、冷奴、茹でインゲン、ダイコンの味噌汁。

座薬が効いて、とても美味しく食べた。

 

夜、再び学友のTに電話を掛ける。夕方の電話の時は、熱が88分もあったので、日頃の話し方ではなかった。でも今は普通に話せる。大学の頃、一緒に同じバイトをしたり、バイトをしない暇なときも、いつもつるんでいた。卒業してから彼は転勤族、私は東京で必死だったので、交流は途切れがちだったが、彼が定年退職をしてから電話や私が帰省するたびに会うようになった。何十年を経ても大学の頃と同じ。気の置けない友人はいいなあと思う。真面目な話も、くだらない話も、飽きずに出来る。熱が下がり、気分よくTと話していると、少し未練がもたげてきた。もう少し生きたいなあと…。

 

  座薬を三回使っていいとのことだったが、寝る間際まで気分がよかったので、錠剤を飲んで寝る。

 

 

 

813日(火曜日)

 

  朝、5時に目覚める、寒い。タオルケットをすっぽり被っても、悪寒がする。ヨーグルト、冷たいスイカを食べ、少し落ち着く。熱を測るとやはり88分。悪寒がしていた時は9度を超えていたのかもしれない。

  今日はPET検査のために順天堂に行かなければならない。座薬を3回使うか、出かけるまでは錠剤にするか、迷う。体の痛みはさほどないが、熱が88分では…やはり、座薬にする。

 

“食道がんは初期症状が発症して1年以内に死亡してしまう人が多い病気で、5年以上の生存率も5%と、とても死亡率の高い病気なのです。”

“食道がんは初期症状が殆どないので、がんが転移して初めて食道がんであるとわかる場合が多いのです。”

“食道がんは重要な臓器の中に囲まれた場所にある上に、転移も早いので取り返しのつかないことになりかねません。”

“食道がんの症状がでてしまった人の余命はわずかであると言えるくらい死亡率の高い病気です。”

“食道がんの末期を迎えると、前日まで多少元気にご飯を食べたり話しをしていたのに突然昏睡状態に陥って最後を迎える方が多いようです。”

“食道がんで末期状態になってしまった方は残念ながらどのような治療をしても、少しだけ生きるのが長くなる気休め程度と言えるでしょう。”

“がん患者の多くに発熱が認められます。”

“原因として多いのが、感染症に次いで「腫瘍熱」であり、がん患者の発熱の10〜60%を占めていると考えられています。”

“腫瘍熱とは、明らかな原因が不明な癌患者の発熱のことです。”

“腫瘍そのものから発熱物質の放出に加えて、腫瘍の壊死に伴って好中球、マクロファージが産生するサイトカインによる生体内反応に起因すると考えられています。”

“腫瘍熱は白血球、悪性リンパ腫などの造血器腫瘍だけでなく、固形癌でも認められます。”

“腫瘍熱の発現は、腫瘍の急速な増大の兆候を示しているとも考えられています。”

“腫瘍の増大を抑制できれば、腫瘍熱は改善します。”

“しかし、腫瘍が十分にコントロールできない場合や、終末期に積極的な腫瘍の治療を行わない場合などには、発熱に対する対症療法が必要になります。”

 

1320分 血液検査 Y医師面談、腫瘍熱、抗生物質、ステロイド痛み止め

1420分 PET 注射。1時間横たわる。

1520分 PET検査。20分。姉とケン。

 

レストラン、イタリアンパスタとエビフライ。カニ雑炊。

バスからの帰り道を小さな体で歩くミヤちゃんの後姿。涙・・・

帰宅。

 

ナツメからの留守電。なんで前からの癌の人が死なないで、ケンさんが死ぬのよ。

ヨシオカさんにTEL。

コヤマさんにTEL。抗がん剤。

午前1時に座薬。

 

 

 

814日(水曜日)

 

  朝、7時に目覚める。寝る前に座薬を使ったためか、さほど痛みはなく、熱は75分。やはり座薬だとまだ大丈夫だ。

 

1320分、順天堂Y医師の診断。PET画像。凄まじい。全身に転移している。

抗がん剤投与を決意する。

 

放射線科医の説明。一回にする。

 

レストラン。ラーメン、白玉ぜんざい。

ウエイター。仲良く話す。リンパガンだったらしい。

 

帰宅。

 

夕飯。商店街の「ととや」で、名前忘れたが、鯛の親戚のような粕漬けを買う。美味しい。冷奴。茹でいんげん。あさりの味噌汁。本当に美味しい。

御飯も通常の定番の量、お茶碗一杯と半分を食べる。

 あと何回、こんなに美味しいと感じながら食べられるか…。

 

 

 

815日(木曜日)

 

  朝3時に目覚める。いつものトイレタイムで5時頃かと思ったら、3時で驚く。朝、1時に座薬を入れて寝た。一番効いていていい時間だが、トイレに行くのがやっとだ。なんか、加速度的にガンが進行している感じがする。

  次に目覚めたのが、7時。トイレにいくが下半身がフラフラだ。今日は散髪に行けるのか。ともかく、昨日まではそう思わなかったが、最後の散髪になるような気がする。

 

  迂闊で地に足が着いていない人生だった。そんな私に、神様がミヤちゃんと出会わせてくれたんだろう。落ち着いて、地に足が着いている。ミヤちゃんは誰に会わせても評判がよかった。人の奥さんを悪く言う人間はいないだろうし、私が女房バカなのかもしれないが、昨日もY先生は私より、ミヤちゃんのことを急にほめだした。「奥さんは冷静でほんとうに素晴らしと思います」と。

 

ミネラル。その後、ぶっ通しで、迷う・・・。

 

 

 

8月16日(金曜日)

 

  朝、座薬、効いていて、7時まで目が覚めなかった。

 オボさん、エンドウさん、TEL。

 

  治療のことを決めないまま、順天堂へ。タクシー。また翻す。「決められないんだったら、とりあえずやってみて、嫌だったらやめればいいんですから」の一言で、翻す。

 

放射線。無痛。その後、下半身に激しい痛み。放射線科の女医。若い。副作用としてそういうことはないと思いますが。座薬が切れつつあるからだろうか。しかし、そういう時の痛みとは明らかに違う。

 

ミヤちゃんと帰り道。タクシー乗り場からバス。上石神井から電車。花小金井で寿司。実に美味かった。

 

 

 

8月17日(土曜日)

 

  朝7時まで熟睡。起きても腰が痛くない。放射線に即効性があるとは聞いていない。一週間くらいで痛み緩和と聞いていたが。そのまま、東久留米のイトーヨーカドーへ。パジャマ替わりのものやTシャツなどをバスで買いに行く。座薬を入れたのが寝る前の1時頃。さすがに12時過ぎにはしんどくなってきて、ヨーカドーのトイレで座薬を入れる。

 

  朝、照くんへメール。一泊で旅行中との返信あり。電話を掛けると、昨日の放射線後の痛みも今日座薬が長持ちしたのも、放射線の影響ではないかという。

 

 一時過ぎに帰宅。午後二時ごろ冷麺。その後、電話やらメールやら。夕方頃には再び痛みと熱。8度近い。6時間が過ぎただけだが、座薬。しばらく横になる。

 

ミネラルが四本届く。

 

夕食。ミヤちゃんはカジキマグロの味噌漬け。私は、サンマ。

通常通り、御飯一善半。

 

ミネラルを水で割って飲む。無臭だが口当たりに鉄分を感じる。チラシを読むと、食事の基本は玄米と菜食のみ。肉、魚はダメ。どうしても食べたければ、白身の魚。うーん。つまり動物性蛋白質はダメ。蛋白質は大豆ということである。豆腐は好きだからいいが…。

 

 

 

818日(日曜日)

 

  明日、抗がん剤治療のため入院。まだ決めかねている。体が(頭?)どうしても受け付けなさそうなのだ。

 

ネットで、ビタミンCの大量投与、NK細胞治療などの免疫療法をやっているサイトを見る、池袋ガンクリニック。食道ガン、ステージWの人も転移のガンが半分以下に消えたり、腫瘍が半分以下になったりしている効果が掲載されている。本当かなあ。

 近藤誠氏は「免疫療法には近づくな」という本を出し、詐欺だと一刀両断にしているようだ。

 

  分からない。何を信用すればいいのか。

 

  覚悟の問題なのだろう。放射線だけで対処療法的に腰の痛みを緩和し、食道狭窄を避けるために、食道にも放射線だけを当てる。他、80%くらいの転移のガンは野放し。そのスピードはどれくらいなのか。抗がん剤治療が効く確率は3割だという。それでも数か月の延命。7割に入ったら、放射線治療だけと全く同じで、抗がん剤の副作用を受けただけ損。

 

夕方4時に座薬投入。

 

タケちゃんに電話。かなり熱中して話すが、気分が悪い。座薬があまり効いてないのか。

 

夕食は、おでん。焼きナス。食後、ベッドに眠るが、午後8時頃からかなり痛み出す。座薬を入れてからまだ5時間しかたってない。6時間も持たなくなったのか。午後9時頃、座薬投入。熱と悪寒がする。86分。腹部の背中側がズンズン痛む。座薬も効かなくなったのか、放射線の副作用なのか、分からない。11時近くまでうんうん唸っていた。通常、座薬を入れて30分もすれば少し楽になっていたのに、2時間唸っていた。効かなくなったのか。

 

  ともかく、明日は入院しようと、これで決めた。痛み止めのコントロールを先生に相談しよう。こんな状態で入院をドタキャンし、新たに放射線治療を計画しなおす気力はない。

 

 副作用が耐えがたかったら、すぐにやめる。

旅行バッグに荷物を詰める。

シャワーを浴びる。

 

  午前1時半、座薬を挿入。かなりフライイング気味。まだ4時間半、6時間から8時間空けるように言われているのだが、このまま眠ったら、目覚める頃、激痛と発熱に襲われるかもしれないし…。座薬も効かなくなったら、モルヒネへ行くしかないのだろう…。モルヒネも効かなくなったら…?

 

  昨日から胃のあたりが引っ張られるような少し吐き気がするような感じがある。やはり放射線の影響だろうか…何も分からない、分からないことが多すぎるまま、ガンの進行は容赦なくというが、嫌なもんだなあ。

 

 

 

 

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がん闘病記 中園健司
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